「貧乏飯」が高級料理になった瞬間
ロブスター、マグロ、牡蠣の逆転劇
今夜、ニューヨークのミシュラン星付きレストランでロブスターを頼めば100ドルを超える。
東京の一流寿司屋でマグロのトロを食べれば、一切れ数千円。
しかし200年前、ロブスターはゴミだった。マグロはペットフードだった。
食の「高級」と「貧乏」の境界線というものは、思っている以上に恣意的で、近年になって引かれだしたものに過ぎない。
ロブスター——ゴミから宝へ
17世紀、マサチューセッツ湾岸のビーチには、ロブスターが膝の高さまで積み上がっていた。
ロブスターが多すぎて、農民は畑の肥料に使った。漁師は魚を釣る際の餌に使った。入植者たちはロブスターを「海のゴキブリ」と呼んでいた。「ロブスター」という言葉はアングロサクソン語の「loppe(クモ)」に由来する——それほどに嫌われていた。
1622年、プリマス植民地の総督ウィリアム・ブラッドフォードは、新しく到着した入植者たちに対して「あなたがたにご提供できるものがロブスターと水しかない」と謝罪したという話が残っているほどに、食料として差し出すには恥ずかしい食べ物だったのだ…
使用人や囚人への食事としてロブスターが出されたが、それですら苦情が出た。マサチューセッツでは使用人契約書に「週3回を超えてロブスターを食べさせてはならない」という条項が盛り込まれたとも伝えられている。
19世紀半ば、ロブスターの価格は1ポンドあたり11セント。同時期のボストン産ベイクドビーンズが1ポンド53セントだったのと比べると、いかに安かったかが分かる。当時の人々はペットにロブスターを食べさせていたくらいだ。
転機は鉄道と共に訪れた。
1840年代、鉄道網の拡大とともに、メイン州のロブスターがニューヨークやボストンに生きたまま輸送できるようになった。「スマックボート」と呼ばれる海水を循環させる特殊な船で生きたまま運び、都市部で調理された。
都市の人々は「沿岸地域の珍しい食べ物」として興味を持ち、沿岸の評判を知らない内陸部の鉄道旅行者に、鉄道会社が「珍しい海の幸」として提供したことが、イメージを変えた最初の一手だったと言われている。
「ロブスターパレス」と呼ばれる高級レストランが1850年代のニューヨークに登場し、上流社会の食卓にロブスターが並んだ。「よく知らないものは高級に見える」という心理を巧みに利用したマーケティング手法の一つである。
缶詰技術の発展も関係している。1842年、メイン州に初の缶詰工場が開設され、ロブスターの缶詰が全国に流通した。過剰漁獲による個体数の減少が、天然ロブスターを希少品にしたのだ。希少になれば価格は上がる。価格が上がれば「高級品」としてのイメージは強化される。
1880年代までに、ロブスターはアメリカ上流階級のシンボルになっていた。かつて肥料だったものが、贅沢の象徴に変わるまで、わずか半世紀のことだった。
マグロ——ペットフードから「海のダイヤ」へ
1940〜60年代のアメリカ大西洋岸、裕福な釣り人たちの間でスポーツフィッシングが流行した。ターゲットの一つがクロマグロだった。400ポンド(約180キロ)を超える巨大な魚を格闘の末に釣り上げ、重さを計って写真に収めて、捨てていた。
当時、クロマグロの肉は「血臭くて食べられない」とされており、港に戻った釣り人たちは、格闘の記念撮影を終えた後、マグロをゴミとして廃棄した。最も「幸運な」マグロでさえ、ペットフード工場に売られていたくらいだ。1949年のある大会では72匹のクロマグロが釣り上げられ、平均419ポンド。その大半が廃棄されたていたことになる。
日本でも、状況はそれほど変わらなかった。
江戸時代、クロマグロは「下魚」だった。脂の多い赤い肉は重すぎると嫌われ、武士は「不浄の魚」として食べることを避けた。19世紀初頭の江戸でマグロの握りずしが登場したとき、脂の少ない「赤身」でさえ、数日間土に埋めて熟成させることで臭みを抑えていたくらいだから、まして脂の多いトロなんかが、廃棄部位として捨てられていたのも仕方のないことなんだろう。
戦後、日本の食文化は変わった。「赤い肉」へのイメージが変容し、マグロの赤身が徐々に受け入れられるようになった。冷蔵・冷凍技術の発達で新鮮なマグロが流通し、「熟成」しなくても食べられるようになった。
1970年代
当時、日本航空の貨物機がアメリカから日本に物資を輸送した後、帰りの便は空荷で飛んでいた。その時、誰かが呟いた。
「帰りの便に、アメリカのクロマグロを積んで運べないか」。
それまでアメリカでペットフード原料として1ポンド数セントで売られていたクロマグロが、日本の築地市場に届くと、まるで別の価値を持ったのだ。
日本人はクロマグロの「トロ」——脂の乗った腹肉——に熱狂した。「口の中で溶ける」ととろけるような食感。「うま味」の塊。価格は急上昇した。
ニューヨークの日本食の普及が加速した1980〜90年代、アメリカ人も「toro」を発見。「ブルーフィン・ツナ(クロマグロ)」は世界で最も価値のある魚になった瞬間だった。
2025年1月、東京・豊洲市場の初競りで、276キロのクロマグロ1匹が2億700万円(約130万ドル)で落札された。1キロあたり75万円——史上2番目の高値だ。
かつてアメリカの釣り人たちがゴミとして捨てていた魚が…
牡蠣——庶民の主食から記念日の贅沢へ
ロンドンとニューヨークに共通する19世紀の光景。街角の屋台で、労働者たちが立ったまま牡蠣をすすっていた。
19世紀初頭のロンドンとニューヨークでは、牡蠣は「貧民の食料」だった。テムズ川とニューヨーク湾には牡蠣が溢れていた。安くて栄養豊富で、殻ごと持ち歩けて、屋台ですぐ食べられる。ニューヨーク市民は年間数億個の牡蠣を消費したと推測される。
1820年代のニューヨーク、牡蠣は1セント6個。チャールズ・ディケンズは「貧しければ貧しいほど、牡蠣と親しむ」と書いた。
過剰採取で個体数が激減するまでは。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ニューヨーク湾とテムズ川の牡蠣床が汚染と乱獲で壊滅。牡蠣は希少品になり、養殖技術の発達とともに「管理された高級品」として流通するようになった。
この逆転劇たちに共通するパターンがある。
豊富さ → 希少さ → 高価格 → 高級イメージ
そして流通技術の変化とマーケティングが、その転換を加速させるのだ。
ロブスターは鉄道が運んだ。マグロは航空貨物が運んだ。牡蠣は乱獲が「生産した」。
何かが高級かどうかは、その食べ物本来の価値ではなく、「誰が、いつ、どこで、いくらで食べられるか」という希少性によって大きく変化する。
今、あなたが「高級」と思っている食べ物のいくつかは、100年後には「信じられないほど普通のものだ」と笑われるかもしれない。そして今「普通」に捨てられているものが、その頃の人間にとっての最高の贅沢品になっているかもしれない。
通念、当たり前、普通、常識なんてものはそもそも存在しない
そんなものは、時代や場所でいくらでも変わるじゃないか
そういったことがよく分かる、いい事例ではないでしょうか。
表面的な美しさや同調的な評価基準に僕たちは日々惑わされて生きています。
そんな中で少しでも自分だけの軸を持って生きれたら、、
なにか変わるかもしれませんよね。
それでは今回はこれでおしまい。
ではまた、次のレポで…













