お茶漬け、この一杯。
~食研レポ~
全国の知られざる「汁かけ飯」を巡る
お茶漬けと聞くと、
「忙しいときにさっと済ませる軽い食事」を思い浮かべますよね。
でも日本各地を見渡すとこの単純な調理法の裏に、
漁師の生活リズムや藩の倹約令、
戦国武将の伝説、
京都人特有の遠回しな会話術まで隠れていることが見えてきました!
本レポートでは、
伊豆のまご茶漬けから奄美の鶏飯まで、
ご飯に熱い液体をかけて食べる6つの郷土料理を取り上げていきます。
ではではさっそく行ってみましょ~。
事前語彙解説
倹約令:江戸時代、財政の立て直しのために各藩が出した、質素倹約を命じる法令。贅沢な食事や衣服が取り締まりの対象になった。
振り茶:番茶などを茶筅で泡立てて飲んだり食べたりする、各地に伝わる茶の文化。抹茶の作法とは別の系統に位置づけられる。
まご茶漬け — 伊豆の漁師が生んだ、待ったなしの一杯
まず一つ目に紹介したいのがこれ!
まご茶漬け
伊豆半島、なかでも伊東市周辺の漁師町にて伝えられてきました。
新鮮なアジを細かく刻むかたたきにして温かいご飯にのせ、
ネギやショウガ、ワサビ、刻み海苔といった薬味を散らす。
そこへ熱い番茶、湯、あるいは魚のだしを勢いよく注ぐ。
この食べ方が定着した背景には、漁という仕事の事情があるようです。
揺れる船の上で、長時間かけて料理を作る余裕なんてない、
獲れたばかりの魚を切り、飯にのせ、手近にある熱い液体を注ぐだけなら、
包丁と醤油さえあれば数分で済む。
煮炊きの手間を最小限にしながら、新鮮な魚の旨味だけはしっかり味わう。
まご茶漬けは、漁の手を止めないための、極めて合理的な一食だったわけです。
名前の由来
漁師が仲間に「まごまごしてないで早く食え」と急かしたことから
「まご茶漬け」になったとか。
威勢のいい掛け声から生まれた名前というのは、いかにも漁師町らしいですよね。
けんさん焼き
~上杉謙信と農民、ふたつの物語が重なる味噌焼き飯~
新潟県に伝わるけんさん焼きは、ご飯を丸く平たく握り、
ショウガ味噌や甘めの味噌を塗って焼き上げる料理です。
呼び名は地域によって
「けんさ焼き」「けんしん焼き」「けんさし焼き」などと、統一さ色々あるみたい。
名前の由来
戦の最中、
上杉謙信が冷えて硬くなった握り飯を自分の剣先に刺し、
火であぶって食べたという逸話がそのまま名前になったというのが
最有力説のようですが、、、、
ただ他にも
年貢として納める米を取り分けたあとに残った飯を焼いたことから
「献残焼き」「献餐焼き」と呼ばれ、
それがけんさん焼きに変化したという説もあるとか。
どちらにせよ、面白いですね。
ぶぶ漬け
「帰れ」の合図、という話のほうが誇張されている
京都でお茶漬けを指す言葉がぶぶ漬けです。
「ぶぶ」は茶や湯を意味する言葉で、
京都には茶を「おぶ」「おぶう」と呼ぶ習わしがあるんだとか。
ぶぶ漬けを語るうえで避けて通れないのが、「ぶぶ漬けでもどうどす?」という一言が、
実は「そろそろ帰ってください」という意味だ、というのは有名な話ですよね。
けど、
京都市の観光資料を見る限り、
実際にこの言葉で客を追い返した経験談はほとんど見当たりませんでした、
むしろ
「大したご馳走はありませんが、
茶漬け程度でよければもう少しご一緒にどうですか」
という、
控えめなもてなしの言葉だった可能性が指摘されているくらいです。
僕は現地人ではないので、実際のところはわかりませんが…
では、
なぜこの言葉が「帰れ」の意味として広まったのか。
背景には、京都に特有の遠回しな会話の作法があったんじゃないかと思います。
主人は「粗末な茶漬けしか出せません」と謙遜しながら申し出る。
客はそれを真に受けて要求するのは厚かましいと考え、丁重に辞退する。
互いに直接的な言葉を避けることで、関係を損なわずに会話を終わらせる。
この曖昧なやり取りが、上方落語『京の茶漬』をはじめとする笑い話や、
後世の「いけずな京都人」というイメージと結びつき、
いつしか分かりやすい型に単純化されていってしまったんじゃないでしょうか?
うずめ飯とうずみ
~ご飯の下に具を隠す、中国地方ふたつの郷土料理~
島根県津和野町のうずめ飯は、
細かく刻んだ豆腐やニンジン、シイタケ、かまぼこなどをだしで煮て器に盛り、
その上にワサビやセリ、海苔を添え、最後にご飯をかぶせる料理。
この料理とよく似ているので
広島県福山市に伝わる「うずみ」というのがあります。
イリコなどでだしを取り、豆腐や里芋、シイタケ、野菜を煮た汁を器に入れ、上からご飯をのせる。島根のうずめ飯と福山のうずみは、別々の地域で受け継がれてきた、それぞれ独立した郷土料理です。
二つの料理に共通して語られる由来が、
江戸時代の倹約令にまつわる話。
贅沢を禁じられた人々が、
鯛やワサビといった高価な具をご飯の下に隠して食べたんだとか。
倹約を重んじる藩主の目を欺くため、
表向きは白飯だけを食べているように見せかけたんですね。
具を隠すことには、もう一つ実用的な意味がありました。
うずめ飯では、ご飯で蓋をすることでワサビやセリの香りを器の中に閉じ込め、
食べる直前にご飯を崩すことで湯気とともに香りを立ち上げる。
倹約や身分制度の話とは別に、
これは香りを逃さないための調理技法でもあるんですな。
うずみは秋の収穫を祝って里芋や野菜をだしで煮込む
農村行事食としての性格が強く、
昭和40年代以降は家庭で作られる機会が減ったものの、
1990年から学校給食に取り入れられたことで再び日常に戻ってきたようです。
今では中華風や洋風、麺類や菓子にアレンジした「創作うずみ」まで
作られてます。
ぼて茶 — お茶漬けとは順序が逆の、泡立てる一杯
番茶やクコの葉を煮出した茶に炒った大豆を加え、
塩をつけた茶筅で勢いよく泡立てる
その泡の中に
黒豆飯やタケノコ、シイタケ、高野豆腐、フキ、奈良漬け
といった具を少しずつ入れ、泡が消えないうちに食べきる。
普通のお茶漬けとは順番が逆ですね。
ぼて茶が生まれた背景として語られるのが、
松山藩で倹約が求められた時代、
城下の女性たちが手持ちの材料を少しずつ持ち寄り、
それでも茶の集まりを楽しもうとした。
高価な抹茶や豪華な菓子に頼らず、番茶や豆、残り飯、保存食を組み合わせて、
食事と茶会を同時にしたんだとか
奄美の鶏飯
~支配する側をもてなすために生まれ、
戦後に作り直された一杯~
鹿児島県・奄美群島の鶏飯は、
白いご飯の上にほぐした鶏肉、錦糸卵、甘辛く煮た干しシイタケ、
パパイヤ漬け、ネギ、海苔、タンカンなど島ミカンの皮をのせ、
熱い鶏ガラスープをたっぷり注いで食べる料理です。
茶こそ使わないものの、食べ方はだし茶漬けに近く、
奄美では祝い事や来客時のもてなし料理として広く定着しているようです。
鶏飯の由来として語られるのが、
江戸時代に奄美群島を支配した薩摩藩との関係です。
黒糖などを厳しく取り立てられていた島の人々が、
島を訪れる薩摩藩の役人の機嫌を少しでも和らげるため、
貴重な鶏を使って丁重にもてなしたのが始まりだとか。
それでは今回の食研レポはこれでおしまい。
次はさらにお茶漬けの歴史について触れていきますね!
ではでは~










今こちらの一本目のお茶漬け記事に気づきました😅まさかの二本立てだっっとは!?気になっていたジャンルの食べ物なので嬉しいです。
ありがとうございます!やはり土地によっていくつも違うお茶漬けがあったのですね!お腹空いてきました笑
よく最後の晩餐で、死ぬ間際に何が食べたい質問に、自分が答えるのは「お茶漬け」。
でもここにあるものでは、ぶぶ漬けしか食ったことがないなぁ。
お茶漬けは幅も広く、奥も深い。色んな地方の食いたいな。
愛媛の鯛の塩焼きの茶漬けもいいよ!