お茶漬けの六百年
水飯・湯漬けから即席茶漬けまで、~食研レポ~
はじめに
事前語彙解説
茶のない時代の「かけ飯」——水飯と湯漬け(古代〜平安)
武士の戦陣食、湯漬けと芳飯(鎌倉〜戦国)
茶が飯にかかるまで——奈良茶飯の登場(江戸初期)
江戸の茶漬け屋と庶民の味(江戸中期〜後期)
質素から郷愁へ——明治・大正の茶漬け
永谷園と出汁茶漬け——現代のお茶漬け
はじめに
お茶漬けっていうと、
「ご飯にお茶をかけただけの簡単な食事」
というイメージを持つ人が多いんじゃないでしょうか。
しかし、その成り立ちをたどると、
稲作と炊飯技術の変遷、
茶という嗜好品の普及、
寺院や武家・庶民それぞれの食生活、
江戸の外食文化、
そして近代のインスタント食品の登場まで、
実に幅広い歴史が折り重なっていることがわかってきました。
それでは、お茶漬けの歴史!
行ってみましょ~~~~
事前語彙解説
水飯(すいはん):冷えた飯に冷水や湯を加えて食べる平安時代以来の食べ方。貴族が夏の涼味として好んだとされる。
湯漬け(ゆづけ):冷えた飯に熱湯や出汁をかけて食べる方法。鎌倉・室町期には武士の戦支度や宴席後の食事として重宝された。
芳飯・法飯(ほうはん):精進料理から生まれた飯料理で、刻んだ野菜や魚を飯にのせ、熱い味噌汁や出汁をかけて食べる。茶漬けやどんぶり料理の源流の一つとされる。
奈良茶飯(ならちゃめし):奈良の東大寺・興福寺などの僧坊で食べられていた、茶で炊いた飯。江戸時代に庶民の外食として広まった。
番茶・煎茶:江戸時代に栽培・製法が広がり庶民の飲み物として定着した茶の種類。茶漬けが普及する前提条件となった。
守貞漫稿(もりさだまんこう):江戸後期の風俗誌。当時の食べ物商売や町の様子を記録した代表的な史料の一つ。
本朝食鑑(ほんちょうしょっかん):1695年に成立した江戸時代の食物書。奈良茶飯をはじめ当時の食材・料理について記している。
ぶぶ漬け:京都を中心に使われるお茶漬けの呼び名。永谷園の即席お茶漬け開発のヒントの一つになったとされる。
お茶づけ海苔:1952年に永谷園が発売した即席お茶漬けの素。海苔・あられ・抹茶塩などを個包装にし、湯を注ぐだけで茶漬けが作れる商品として広まった。
茶のない時代の「かけ飯」——水飯と湯漬け(古代〜平安)
稲作が日本に伝わった当初、
米は蒸したり炊いたりして食べられていました。
しかし、当時はまだ保温の技術がなかったため、炊いた飯は時間が経つと
澱粉の老化によってすぐに硬くパサついてしまってたんですね。
冷えて食べにくくなった飯をどう美味しく、
あるいは手早く食べるかという工夫の中から生まれたのが、
水飯と湯漬け
冷えた飯に冷水を注げば水飯、
熱湯を注げば湯漬け
という手軽さ!!!
ただし、この時代の「かけ飯」に茶が使われることはなかったようです。
茶は禅僧が唐から持ち帰って以降も長らく貴族の薬用に近い扱いで、
一般に飲まれる飲料ではなかったためなんですね。
この水飯・湯漬けが、後のお茶漬けの直接の祖先というわけではありません。
しかし、冷えた飯を液体でやわらげて食べるという発想そのものは、
形を変えながら千年以上にわたって受け継がれていくことに…
武士の戦陣食、湯漬けと芳飯(鎌倉〜戦国)
武家社会の成立とともに、湯漬けは新たな役割を担うようになりました。
出陣前にわずかな時間で腹ごしらえを済ませる必要があった武士にとって、
湯を注ぐだけで食べられる湯漬けは理にかなった食事だったんですね。
室町幕府八代将軍足利義政の日記に、
昆布や椎茸でとった出汁をかけた湯漬けが供された
という記録も残ってて、
これは今日の出汁茶漬けにかなり近い食べ方だったんじゃないでしょうか。
同じ頃、精進料理の流れから芳飯(法飯)と呼ばれる料理も生まれました。
炊いた飯に刻んだ野菜や焼き魚をのせ、熱い味噌汁や出汁をかけて食べるもので、
単に液体をかけるだけだった湯漬けに比べ、
具材をのせるという発想を加えたっていう大きな変化が見られますよね。
後の茶漬け屋が漬物や海苔、
佃煮などを添えるようになる文化の下地になったと考えられているようです。
茶が飯にかかるまで——奈良茶飯の登場(江戸初期)
16世紀後半から17世紀にかけて茶の栽培と煎茶製法が広がると、
武士や町人も日常的に茶を飲めるようになっていきました。
この茶の普及と、
冷えた飯を再加熱して食べるという従来の習慣が結びついて生まれたのが
奈良茶飯です。
奈良の東大寺・興福寺では、お水取りの行事に従事する僧侶の食事として、
茶粥とともに「ゲチャ」と呼ばれる茶飯の原型がすでに食べられていました。
奈良茶飯が江戸で広く知られるようになった転機は、
1657年の明暦の大火
大火の後、浅草金竜山の門前にできた茶屋が、
茶飯に豆腐汁や煮豆を添えた「奈良茶」を売り出したところ、
その物珍しさから江戸中から客が押し寄せる評判となっったんですね。
江戸の茶漬け屋と庶民の味(江戸中期〜後期)
江戸では朝に一度だけ飯を炊き、
夜は冷や飯を湯漬けにして食べるのが一般的な習慣でした。
そこに奈良茶飯の流行が重なったことで、
「茶と飯の組み合わせ」が江戸っ子の間に浸透し、
湯漬けに代わって茶をかける食べ方、すなわち茶漬けが広まっていったんだとか。
元禄期(1688〜1704年)には街道沿いや江戸市中に茶漬け屋が現れ、
奉公人が仕事の合間に手早く食事を済ませる場として利用されていました。
江戸後期になると、茶漬けに添えられる具材も漬物や梅干しだけでなく、
海苔・昆布・塩鮭・干物・佃煮など多彩になり、
水や器にこだわった高級な茶漬けを出す店も増えてきたようです
質素から郷愁へ——明治・大正の茶漬け
明治に入ると炊飯の技術は改良されたものの、
保温の仕組みはまだ十分ではなく、家庭で冷や飯が出ることは珍しくありませんでした。
茶の生産量も増え、緑茶が日常的に飲まれるようになったこの時期、
お茶漬けは学生や下宿人、旅人、勤め人などにとって、
夜食や朝食として手軽に食べられる料理であり続けました。
料理書や新聞には梅干しや沢庵を添えた簡便な茶漬けの作り方が紹介され、
「日本的で質素な食事」として改めて見直された時期でもあるそう。
江戸時代には庶民の手早い食事だった茶漬けが、
明治・大正期には日本らしさを象徴する一品として、
どこか懐かしさを伴うイメージを帯びはじめていたんですね。
永谷園と出汁茶漬け——現代のお茶漬け
戦後の食卓における茶漬けの立ち位置を大きく変えたのが、
永谷園が1952年に発売した「お茶づけ海苔」
煎茶の創始者と伝わる永谷宗七郎から数えて10代目にあたる永谷嘉男は、
「小料理屋の締めで食べるおいしい茶漬けを、家庭でも手軽に食べられたら」
という発想から、
抹茶や塩などの調味料、海苔、あられ
を組み合わせた即席茶漬けの素を開発しました。
アルミ箔やポリエチレンがまだない時代、
商品は石灰を敷いた瓶に詰めて出荷され、
自転車のリアカーで茶屋を一軒一軒回って納品されたとか。
歌舞伎の定式幕になぞらえた黄・赤・黒・緑の縞模様のパッケージは
発売当初から大きく変わることなく、お湯を注ぐだけで茶漬けが食べられるという
手軽さも相まって、家庭に広く浸透していった。
これ以降、「お茶漬け=即席で作れるもの」というイメージが定着し、
サケ茶づけや梅干茶づけなど、具材違いの商品も次々と展開されていきました。
お茶漬けの歴史をたどると、米食文化の発展と茶の普及という二つの流れが、
社会の変化と絡み合いながら一つの料理を形作ってきたことが分かってきたんじゃないでしょうか!!!
古代の水飯・湯漬けに始まり、武士の戦陣食としての湯漬け、
僧侶の茶粥から生まれた奈良茶飯、江戸の茶漬け屋、
明治の郷愁を帯びた家庭料理、そして即席のお茶づけ海苔や出汁茶漬けへ
お茶漬けは姿を変えながら、つねに
「手早く、しかし美味しく食べたい」
という人々の願いに応え続けてきた料理だったんですね。
それでは今回のレポはこれでおしまい。
ではまた次のレポで~~~~










デン太郎さん!リクエスト通りお茶漬けについての記事ありがとうございます😭茶漬けn歴史は長いと思ってましたが、ここまで古いとは思わなかったです。でも確かに昔は電子レンジもなかったので、時間が経った米を食べる手段として湯漬けや茶漬けは有効ですよね🙋♂️勉強になりました。ありがとうございます♪