コーンフレークは禁欲主義の産物だった!?
禁欲主義と事故が生んだ朝食革命
世界中の子供たちが毎朝食べるコーンフレーク。
その誕生の動機を知ったら、少し食欲が失せるかもしれない。
コーンフレークは「性欲を抑制するために作られた」食べ物だったのだ。
1852年、ミシガン州タイロン生まれのジョン・ハーヴェイ・ケロッグ。17人兄弟の一人として生まれ、第七日安息日再臨派教会(セブンスデー・アドベンティスト)の熱心な信者として育った。
医学を学んだケロッグは、1876年、24歳でミシガン州バトルクリークにある教会経営の健康施設の最高責任者に就任した。彼はこの施設を大改造し、「バトルクリーク・サニタリウム(療養所)」と名付けた。
サニタリウムは病院でもなく、ホテルでも、スパでもない。
その全部だった。正式な医療施設でありながら、贅沢なリゾートの雰囲気を持ち、厳格な健康プログラムで患者を治療する。
最盛期には年間1万2000〜1万5000人の患者が訪れ、30エーカー(約12万平方メートル)もの広大な施設に成長した。
元大統領、著名な実業家、芸術家たち——当時のアメリカのセレブが数多く 訪れた。
ケロッグの医学哲学は独特だった。いや、独特どころではない。
彼は「生物学的生活」と呼ぶ健康哲学を提唱。
新鮮な空気、日光、運動、菜食主義、禁酒禁煙——ここまでは理解できる。
問題はその先だ。
ケロッグは「性的興奮」がすべての健康問題の根源だと信じていた。
彼の著書「性生活の真実について」には、性的自慰を「自己汚染」と呼び、39種類の症状(倦怠感、ニキビ、記憶力低下、カーブドスパイン等)を引き起こすと書かれている。治療法として彼が推奨したものの中には、今日の基準では完全に非倫理的なものも含まれていた。
ケロッグ自身は生涯を通じて禁欲を実践し、妻とは別の部屋で眠り、
子供たちは全員養子だった。
この信念から、食への理論が生まれた。
刺激的な食べ物——肉、スパイス、アルコール、コーヒー——は性的興奮を高める。だから、極めて淡白で刺激のない食べ物が「正しい食事」だ。
ケロッグは「聖なる淡白食」を追求し始めた。
1894年、ケロッグは弟のウィル・キース・ケロッグと共に穀物食の実験を続けていた。ある日、小麦粉の生地を調理中に放置してしまい、酸化させた。それをローラーにかけると、薄いフレーク状になった。
これを焼いてみるとカリカリとした薄い欠片ができた。
これが「コーンフレーク」の原型だ(正確には最初は小麦フレークだったが、後にトウモロコシに変更された)。
ケロッグにとって、このフレークは理想の食品だった。風味はほとんどなく、刺激もない、極めて「無害」な食べ物。「これを食べれば、性的欲求が抑制される」と彼は信じた。
しかし物語はここで劇的な方向転換を迎える。
弟のウィル・キース・ケロッグはビジネスセンスがあった。彼はひそかに砂糖を加えて味を改良し、「これは売れる」と確信した。
兄ジョンは激怒した。「砂糖を加えたら刺激物になる!意味がない!」
兄弟は決裂し、ウィルは1906年に「バトルクリーク・トースティッド・コーン・フレーク・カンパニー」を設立した。これが今日の「ケロッグ社」の直接の前身だ。
砂糖入りのコーンフレークは爆発的な人気を博した。
兄ジョンは、自分が「性欲抑制食」として生み出した食品が、甘みを加えられて子供たちの朝食の定番になっていくのを、複雑な思いで見ていたに違いない。
これには、さらに面白い後日談がある。
バトルクリークにはケロッグの名声を聞きつけた模倣者たちが押し寄せた。1900年代初頭、バトルクリーク周辺には100以上の穀物食品会社が誕生した。
その中の一人がチャールズ・ポスト、
のちにグレープナッツなどを作るポスト・シリアルズの創業者だ。
ポストはケロッグのサニタリウムの患者として入院し、アイデアを盗んで独立した。
ケロッグとポストの確執は、アメリカ朝食シリアル産業全体の原点になった。
今や世界の朝食シリアル市場は年間約500億ドル規模。毎朝何億人もの人々が食べるコーンフレークは、禁欲的な医師が「最も欲求を抑える食べ物」を作ろうとしたことから生まれた食べ物だったのだ。
なんだか、ここまで禁欲を徹底していたんだと聞くと
逆に、めちゃくちゃむっつりだったんじゃないかって思っちゃいますよね。
それでは、今回はこれでおしまい。
ではまた、次のレポで(笑)















デンさん、とても興味深く最後まで拝読しました。ツッコミたいところはたくさんあるけど、デンさんの最後の感想には負けました😂アメリカ人の食文化(悪い意味)の源がここにある、妙に納得です。
デンさーん!こんばんは🌷全っ然知らない歴史でびっくり😳今度から食べるときの意識が変わりそうです🤣