レモンが軍事機密だった
壊血病と大英帝国の興亡
嵐より怖い。海賊より怖い。砲弾より怖い。
大航海時代の船乗りたちが最も恐れていたのは、目に見えない敵だった。
壊血病(スコーヴィー)。ビタミンCの欠乏が引き起こすこの病は、海に出て2〜3ヶ月後に顔をだす。最初はただの倦怠感。次に関節の痛み、歯茎の腫れ、歯が抜け落ちる。皮膚に黒い斑点が浮かび上がり、古い傷口がなぜか再び開く——50年前に癒えたはずの傷が。そして最後は出血しながら死ぬ。
歴史家スティーブン・バウンはこう書いた。「壊血病は、嵐・難破・戦闘・その他すべての病気を合わせたよりも多くの船乗りを殺した」。
大航海時代(1500〜1850年)の350年間で、壊血病が殺した船乗りの数は200万人以上と推計されている。
1740年。イギリス海軍准将ジョージ・アンソンが8隻の艦隊と1,955人の乗組員を率いて南米へ出港した。スペインの宝船を拿捕する作戦だった。
3年9ヶ月後、帰港したのは1隻。乗組員は145人。
1,800人以上が死んだ。その大半が壊血病だった。
この航海の記録には、壊血病の恐ろしさを伝える描写がある。50年前に受けた傷を持つ老いた水兵が、壊血病にかかると「傷が再び開き、まるで一度も癒えたことがないかのように見えた」。かつて折れて完全に癒合した骨が、壊血病によって再び溶け始め、骨折が癒えたことがなかったかのようになった。
アンソン遠征の惨状はイギリス全土を震撼させた。
そして7年後、一人の医師が動いた。
1747年。スコットランド人の海軍軍医ジェームズ・リンドが、HMS ソールズベリー号の船上で史上初の「臨床試験」を行った。
壊血病を発症した12人の水兵を6つのグループに分け、それぞれ異なる「治療法」を試した。
シードル。硫酸(ビトリオールという名の薬)。海水。酢。大麦水。そして、オレンジ1個とレモン2個。
6日後、結果は歴然だった。オレンジとレモンを与えられた2人だけが劇的に回復した。他のグループは変化なし、あるいは悪化した。
リンドは発見したのだった。「柑橘類が壊血病を治す」ということを。
リンドは1753年に400ページの論文「壊血病論」を発表した。しかし論文の中で、オレンジとレモンの効果を報告したのはわずか数パラグラフ。残りの大半は、壊血病は「消化系の病」であるという、当時の医学理論(四体液説の残滓)に基づく見当違いの考察に費やされた。
発見者自身が、自分の発見の意味を理解していなかったのだ。
さらにリンドは実用化でも躓いた。
生のレモンは長期航海には保存できない。彼は煮詰めて濃縮した「ロブ」を提案したが、加熱によってビタミンCが破壊されることを知らなかった。
その後、キャプテン・クックがこのロブを試したが「効果なし」と報告。
結果、リンドの発見は海軍に採用されなかった。
リンドが1753年に論文を発表してから、海軍が実際にレモン汁を全艦船に義務付けるまで、42年かかることとなった。
その間も、船乗りたちは死に続けた。
七年戦争(1756〜1763年)でイギリス海軍が徴兵した水兵は184,899人。そのうち133,708人が「失われた」——病死、体力的な理由での除隊、逃亡。戦闘による損失は微々たるもので、圧倒的多数が病気、とりわけ壊血病によるものだった。
リンドの発見を採用しなかった42年間のコストは、数十万人の命だともいえるだろう。
最終的に海軍を動かしたのは、一人の貴族医師だった。
ギルバート・ブレイン。
艦隊付き医師として西インド諸島に赴任した彼は、壊血病による死者の多さに愕然とし、ロドニー提督の支援を得て艦隊の水兵にレモン汁を配給し始めた。
効果は即座だった。艦隊の死亡率が7分の1から20分の1に激減。
1782年、ロドニー提督はフランス艦隊に大勝利を収めた(セインツの海戦)。
イギリス艦隊の水兵は健康で戦えたが、フランス艦隊は壊血病で消耗していた。
レモン汁が海戦の勝敗を決めたのだ。
1795年、ブレインはようやく海軍省を説得することに成功し、艦船に毎日レモン汁を配給する命令が下され、1797年には、イギリス海軍から壊血病がほぼ消滅した。
1795年から1814年の間に、海軍省が配給したレモン汁は160万ガロン(約600万リットル)。ナポレオンはシチリア島をレモン汁の巨大生産工場に変えたと言われるほどだ。
そしてトラファルガーの海戦(1805年)。
ネルソン提督率いるイギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を撃破したこの決戦で、イギリス兵は壊血病知らずで戦った。敵艦隊は消耗していた。
レモンがナポレオン戦争の行方を左右した、と言っても過言ではないだろう。
しかしここで話は終わらない。
1860年、イギリス海軍はコスト削減のため、地中海産レモンから西インド諸島産ライムへの切り替えを決定した。
ライムはイギリスの植民地で大量に取れて安かったから、しかしそれは致命的な間違いだった。ライムに含まれるビタミンCはレモンの半分しかない。さらに、当時の製造工程では銅製の設備を使っていたため、ビタミンCが酸化してほぼ無効化されていたのだ。
「ライミー」——イギリス人の俗称として今も残るこの言葉は、ライムを配給された水兵たちへのからかいから生まれた。だがその水兵たちは、実は壊血病から守られていなかったのだ。
19世紀後半、イギリスの極地探検隊で壊血病が再発。
医師たちは「壊血病は缶詰の腐敗で引き起こされる」という新しい誤った理論を信じていた。
1911年のスコット南極探検隊には、壊血病についての自信満々に講義をする医師がいたが、彼の理解は完全に間違っていた。
1747年にリンドが正解を出してから160年以上が経っていたが、それでも犠牲者は出続けていた。
ビタミンCの存在が科学的に特定されたのは1928年。ノーベル賞を受賞したのは1937年。
リンドが臨床試験でオレンジとレモンの効果を証明してから、実に190年後のことだった。
柑橘類が壊血病を治すことを、船乗りたちは経験として何度も発見した。
1497年のヴァスコ・ダ・ガマ、
1593年のリチャード・ホーキンス提督、
1617年の軍医ジョン・ウッドール——
みんな柑橘類が効くと書いたが、すべて無視された。
そのたびに、また別の誰かが気づき、また無視された。
最終的には、200万人の命と引き換えに、人類はレモンの価値を学んだのであった…
それでは今回はこれでおしまい。
ではまた次のレポで~

















