トマトはヨーロッパで200年間「毒」だった
鉛の皿が生んだ最大の冤罪
ピザ、パスタ、ケチャップ、サルサ。今や世界の食卓に欠かせないトマトは、たった200年前まで「食べれば死ぬ」とヨーロッパ人に恐れられていた。
面白いことに、その恐怖には「証拠」があった。実際に貴族たちがトマトを食べて死んでいた。
1544年。イタリアの植物学者ピエトロ・アンドレア・マッティオーリが、新大陸から届いた奇妙な赤い果実を
ナス科と分類した。
それが全ての始まりだった。ナス科植物には、ヨーロッパで最も恐れられた毒草が揃っていた。ベラドンナ(致死性の毒)、マンドレイク(麻薬・毒)、ヒヨス(幻覚剤)、チョウセンアサガオ(猛毒)。
見た目もそっくりだ。マッティオーリはトマトをこれらの仲間として分類し、「食べてはいけない」と記した。
もちろん、トマトに毒があるとしたのは間違いである。
だが気持ちはわからなくもない。ヨーロッパ大陸全体に「ナス科=毒」という数百年のトラウマがあった。ナス科植物は魔女の薬草として、毒殺の道具として、文化的に深く刻まこまれていた。
観賞用植物として庭に植えることは許可されていたが、食べることは禁忌だったのだ。
やがて、好奇心旺盛な貴族たちが試し始めた。
そして何人かが死んだ。
「やはりトマトは毒だった」——これが結論だった。誰も疑わなかった。
けれど、当然
貴族たちが死んだのは、トマトのせいではなかった。
鉛の皿のせいだったのだ。
17〜18世紀、ヨーロッパの貴族は錫(すず)と鉛を合金した「ピューター」製の食器を使っていた。銀食器の代わりとして、見た目が美しく、高級感があり、加工しやすかった。問題は鉛含有量が高かったことだ。
そこにトマトが乗った。
トマトは果物の中で異様に酸性が強い。その酸が、ピューターの皿から鉛を溶け出させた。鉛が食物に混入し、貴族たちは鉛中毒になった。痙攣、嘔吐、衰弱、死——典型的な急性鉛中毒の症状である。
医師も、本人も、目撃者も、誰も鉛とトマトの関係を疑わなかった。皿が毒を出しているとは想像もしていなかった。
一方で、農民は何も恐れることなくトマトを食べていた。彼らは木の食器を使っていたから、鉛が溶け出すことはなかった。貴族だけが死に、農民は平気だった。しかしこの事実は「農民には毒への耐性がある」と解釈され、社会階層の差異の問題として片付けられていたのだ。
アメリカでも同様の恐怖が広がっていた。
イギリスの植民地として建国されたアメリカには、そのままトマト恐怖症が輸入された。18世紀末まで、トマトは北米でほぼ観賞用植物だった。
1820年。ニュージャージー州セーラムの農学者、コロネル・ロバート・ギブン・ジョンソンが大胆な行動に出た。
裁判所の階段に立ち、約2000人の群衆を前に演説した。「トマトが毒だというのは迷信だ」。
彼は赤く輝くトマトを高く掲げ、大きくかじりついた。
群衆から悲鳴が上がった。一人の女性が気絶した。医師がそばに待機していた。
ジョンソンは平然と食べ続けた。2個目に手を伸ばした。
何も起きなかった。「まだ生きている!」と群衆が叫んだ。バンドが演奏を始めた。
ただし歴史家の研究によれば、このエピソードは後世に劇的に脚色されたものらしい。実際のジョンソンは1820年に単にセーラムにトマトを持ち込んだ農学者で、「公開実食」のドラマは1940年代に作家が創作し、1949年のCBSラジオ劇で広まっただけの「逸話」だった可能性が高い。
しかし、そのような逸話が作られたこと自体が、いかにトマトへの恐怖が根強く、そしてその恐怖の克服が劇的に語られてきたかを示している。
その後、イタリア南部ナポリで貧しい人々がトマトを使い始めた。1880年代、ピッツァにトマトソースが塗られた。20世紀に入り、世界はトマトに征服された。
現在、トマトは世界で最も多く生産される野菜だ(植物学上は果物だが)。年間生産量は約2億トン。ピザ、パスタ、ケチャップ、トマトジュース——人類の食の中心にある。
これが200年間「毒」とされた植物の話。
犯人は皿だったのだ…
それでは、今回はこれでおしまい。
それではまた、次のレポで~~














デン太郎さん、初めまして。
トマトとお皿の関係、とても面白い記事でした。
私は食品メーカーで開発をしていたので食に関する記事は興味があります。
そしてフォロー、リスタックありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
デン太郎さん!今回のトマトの切り口とても面白かったです。まさか当時にお皿が原因でトマトが🍅毒のある食べ物と認識されるとは思いもよりませんでした!
とても勉強になりました🙋♂️ありがとうございます♪